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亜鉛や銅の需要減

Thu 05 Feb’09

カテゴリー » 五反田

愛知県は来年度予算の大枠を固めた。景気後退の影響で県税収入が大幅に減少することに対応し、県が国の補助を受けず単独で手掛ける投資的経費は30%、人件費は5%それぞれ削減するなど緊縮予算とする。一方、業績悪化で法人2税を払いすぎた企業への還付金が増えるため、歳出予算は08年度当初予算比1.1%増の2兆2783億円とした。財源不足を補うため、県債発行額は過去最高の3826億円に上る。

 県は6日に最終決定する。

 歳出で削減幅が最も大きいのは、県内自治体への交付金と並び30%減の単独事業で、901億円。国の補助金による公共事業と合わせ、投資的経費総額は15%減の2603億円とする。

 人件費に関しては、特別職の給与削減率について、知事は給料10%、期末・勤勉手当(ボーナス)20%、副知事は給料7%、ボーナス10%、教育長や企業庁長などは給料5%、ボーナス7%とすることを決定。人件費総額は5%減の7342億円とした。
非鉄金属大手の三井金属は20日、グループの正社員を含む従業員のうち約4千人を9月末までに国内外で減らすと発表した。グループの従業員約1万9千人の2割にあたる人数だ。正社員の賃金カットにも踏み切る。世界同時不況による痛みが正社員にも波及してきた。

 同社は同日、09年3月期の連結業績見通しを下方修正。売上高を従来の5540億円から4260億円に、営業損益を197億円の黒字から270億円の赤字に、純損益を50億円の黒字から350億円の赤字になるとした。

 世界同時不況による亜鉛や銅の需要減などで、09年3月期の純損益が、95年3月期以来14年ぶりの赤字に転落する見込みになり、抜本的なコスト削減が不可欠と判断した。

 今回減らす4千人のうち、正社員は約960人。国内分は約550人で、本体のほか、グループ企業の三池製錬(福岡県大牟田市)、神岡鉱業(岐阜県飛騨市)などで400人規模の希望退職を募る。さらに、定年退職による自然減などを見込む。派遣従業員などの非正社員も、満了時に契約を更新しないなどし、約3100人を減らす。現在の約7600人の半分弱にあたる規模だ。このうち、国内分は約2600人。

 人件費も、国内の組合員の09年度の給与や期末手当を新たに減額する。管理職の給与も、昨年10月から実施している5%からカット率を拡大する。5~10%としていた取締役と執行役員約30人の役員報酬のカット率も、今年4月から最大50%に積み増す。

組合員 国内

— posted by サイト管理者 at 05:17 pm  

ホワイトハウスが発表した声明によると

Fri 23 Jan’09

カテゴリー » 大塚

ブッシュ米大統領は退任前日の19日、麻生首相や、ロシアのプーチン首相、メドベージェフ大統領など諸外国の首脳に電話をかけ、「一緒に仕事ができて楽しかった」と謝意を伝えた。

 ブッシュ大統領が電話をかけたのは、このほか、ブラウン英首相、ベルルスコーニ伊首相、韓国の李明博(イミョンバク)大統領、グルジアのサアカシビリ大統領など。

 ホワイトハウスが発表した声明によると、ブッシュ大統領は各国首脳との電話で、大統領夫妻に対する手厚いもてなしに礼を述べたところ、首脳らも「大統領の業績や、在任中の8年間で築かれた友好と協力の精神に感謝した」としている。

米国、欧州、アジアなどの17か国で実施した読売新聞社と英BBC放送との共同世論調査によると、オバマ米新政権で、米国の対外関係が「良くなる」と見ている人は、すべての国で多数を占めた。

 オバマ氏が、ブッシュ政権時代の「一国主義」から「多国間協調」への転換を掲げていることが、関係改善への期待感につながっているようだ。

 「良くなる」との答えは日本では48%で17か国中2番目に低く、「変わらない」37%は最高だった。「良くなる」はドイツ78%、フランス76%など、ブッシュ政権下でのイラク戦争への対応で、対米関係がぎくしゃくした欧州諸国で高かった。

 現在の国際的な課題に、オバマ氏がどう対応すべきかを個別に聞いたところ、「金融危機」については17か国すべてで「最優先で取り組むべきだ」との意見が多数だった。中国は最高の93%に達し、日本は77%、米国は75%だった。

 調査は、英BBC放送の呼び掛けに応じ、米仏独露など17か国で昨年11月から今年1月にかけて実施。1万7356人が回答した。

多国間協調 一国主義

— posted by サイト管理者 at 05:37 pm  

 

氷点下の冷え込み

Fri 23 Jan’09

カテゴリー » 大塚

突き抜けるような青空の下、米連邦議会議事堂に初の黒人新大統領が姿を現した瞬間、首都・ワシントンは興奮の渦に包まれた。

 20日のオバマ大統領の就任式。全米から詰めかけた人種や年齢、職業も異なる200万人とも言われる群衆は、目の前で刻々と紡ぎ出された「歴史の一部」を記憶のひだに焼き付けた。

 「オバマ!」「オバマ!」。午前11時40分過ぎ(日本時間21日午前1時40分過ぎ)、黒のコートに赤いネクタイ、手袋をしたオバマ新大統領が就任式会場に姿を見せると、群衆は耳をつんざくような歓声と盛大な拍手で出迎えた。新大統領ははにかむような笑みを浮かべ、白い歯も時折のぞく。階段をゆっくり下りながら、両脇に並んだ男女と握手を交わした。

 この日未明は氷点下の冷え込み。飛行機や大型バスで続々と駆けつけた市民は、フード付きコートやマフラーなど防寒具を厳重に着込み、星条旗や新大統領の名前が記された小旗を振りながら就任式会場を目指した。

 5路線ある市営地下鉄は午前4時から営業を開始したが、電車内はいずれも満員状態。オハイオ州シンシナティから来たコンサルタント会社勤務、ベロニカ・チャップマンさん(40)は「オバマが当選を果たした時から、この歴史的瞬間に立ち会おうと決めていた。仕事は3日間休暇をとった」と興奮気味に話した。

 就任式会場の周辺は、19日午後から交通規制され、金属探知器で通行人のボディーチェックをしたり、5000台の監視カメラが不審者に目を光らせたりするなど物々しいムード。警察や軍など計約4万人が警戒しているといい、米テレビ局によると、狙撃兵も街角に多数配備されたという。

 議事堂前の「ナショナル・モール」は式典前から祝賀ムードで沸き返っていた。白人も黒人もヒスパニック人も、「オバマ」の大合唱。3歳の孫とオハイオ州から前夜、バスで10時間かけてやって来た黒人のラル・ウォードさん(59)は「オバマは我々アフリカ系アメリカ人の誇り」と目を輝かせた。

アメリカ人 アフリカ系

— posted by サイト管理者 at 05:36 pm  

フォーラムに参加した

Sat 10 Jan’09

カテゴリー » 大塚

企業が不況下の雇用を維持するため、一つの仕事を複数の従業員で分け合う「ワークシェアリング」の導入を巡り、経済団体の意見が分かれている。日本経団連の御手洗冨士夫会長は8日、導入の可能性を改めて指摘したのに対し、日本商工会議所の岡村正会頭は慎重な見方を示した。連合も、導入の是非を巡って内部に温度差があるとみられ、労使それぞれの意見集約は容易ではなさそうだ。(二階堂祥生)

◇「議論は未熟」

 春闘の前哨戦として日本経団連が都内で8日開催した労使フォーラムの基調講演で、御手洗会長は「(企業は)雇用の安定に最大限の努力を注いでもらいたい」と、雇用維持の必要性を強調した。その上で、「時間外労働や所定労働時間を短くして、雇用を守ることを検討する企業が出てくるかもしれない」と述べ、ワークシェアリングを選択肢の一つとして挙げた。

 これに対し、日商の岡村会頭は同日の記者会見で、「検討には値するが議論が未熟で、(導入は)早計に過ぎる」と慎重な考えを示した。岡村会頭は、デフレ不況下の日本でワークシェアリングが定着しなかった理由について、多くの企業が採用している年功序列的な賃金体系が、賃下げを伴うワークシェアリングにはなじまなかったためだと主張した。

 発言の背景には、日商を組織する中小企業の多くで、大企業以上に仕事量の減少が加速しており、ワークシェアリングの導入は現実的ではないという事情もあるとみられる。

◇ジレンマ

 連合も、ワークシェアリングを巡る意見がまとまっているとは言い難い。

 高木剛会長は5日の記者会見で「日本経団連と協議の場を持てないか、という議論をしている」と述べた。

 しかし、8日のフォーラムに参加した団野久茂・副事務局長は、記者団に対し、「議論を否定するわけではないが、本当にできるか慎重に考えないといけない」とトーンを下げた。

 連合は今春闘でベア要求を掲げるが、ワークシェアリングは賃下げにつながるため、経済界からは、「同時に要求するのは矛盾する」(財界関係者)という指摘もある。連合としては、経団連と踏み込んだ協議を行うのは難しいのが実情だ。

◇深い溝

 フォーラムでは、賃金をめぐる労使の意見対立も改めて浮き彫りになった。連合の団野副事務局長は「内需を拡大するには賃上げが必要。物価上昇に見合ったベアを要求する」と強調した。これに対し、経団連の御手洗会長は「硬直的な賃金制度は企業の体力をそぎ、雇用の安定を脅かしかねない」と述べ、一律の賃上げに応じるのは難しいという従来の姿勢を崩さなかった。

 雇用維持や賃上げを巡る意見の隔たりは大きく、春闘の労使間協議は難航が予想される。

雇用維持

— posted by サイト管理者 at 03:53 pm  

後継者に指名していた

Mon 29 Dec’08

カテゴリー » 町田

また、四国の長宗我部元親に対しても、弟・羽柴秀長を総大将として、毛利輝元や小早川隆景らも出陣させるという大規模なもので、総勢10万という大軍を四国に送り込んだ。これに対して元親は抵抗したが、兵力の差などから7月25日、秀吉に降伏する。元親は土佐国のみを安堵されることで許された(四国征伐)。

7月11日にはかねてから紛糾していた関白職を巡る争い(関白相論)に便乗し、近衛前久の猶子として関白宣下を受け、天正14年(1586年)9月9日には豊臣の姓を賜って[9]、12月25日、太政大臣に就任し[10]、政権を確立した(豊臣政権)。なお、秀吉は征夷大将軍職に就いて「豊臣幕府」を開くために足利義昭へ自分を養子にするよう頼んだが断られたために関白職を望んだという俗説もあるがこれは後の創作[11]である。

越中国の佐々成政に対しても8月から征伐を開始したが、ほとんど戦うこと無くして8月25日に成政は剃髪して秀吉に降伏する。織田信雄の仲介もあったため、秀吉は成政を許して越中新川郡のみを安堵した。こうして紀伊・四国・越中は秀吉によって平定されたのである。


[編集] 九州征伐
詳細は九州征伐を参照

そのころ九州では大友氏、龍造寺氏を下した島津義久が勢力を大きく伸ばし、島津に圧迫された大友宗麟が秀吉に助けを求めてきていた。秀吉は島津義久に降伏勧告を行うが断られ、九州に攻め入ることになる。

天正14年(1586年)には豊後国戸次川(現在の大野川)において、仙石秀久を軍監とした、長宗我部元親、信親親子・十河存保・大友義統らの混合軍で島津軍の島津家久と戦うが、仙石秀久の失策により、長宗我部信親や十河存保が討ち取られるなどして大敗した(戸次川の戦い)。

だが天正15年(1587年)には秀吉自らが、弟・秀長と共に20万の大軍を率い、九州に本格的に侵攻し、島津軍を圧倒、島津義久・義弘らを降伏させる(九州征伐)。こうして秀吉は西日本の全域を服属させた。

九州征伐完了後に博多においてバテレン追放令を発布したが、事実上キリシタンは黙認された。天正16年(1588年)には刀狩令を出し大規模に推進した。


[編集] 小田原征伐
詳細は小田原の役を参照

天正17年(1589年)、側室の淀殿との間に鶴松が産まれ、後継者に指名する。同年、後北条氏の家臣・猪俣邦憲が真田昌幸家臣・鈴木重則が守る上野国名胡桃城を奪取したのをきっかけとして、秀吉は天正18年(1590年)に関東に遠征、後北条氏の本拠小田原城を包囲した。

『太閤記』によると、秀吉は奥羽の諸氏に小田原に参陣するように命令したが、伊達政宗は遅参した。秀吉は、奥州の田舎太守(政宗)を「蠢く虫」と評し、政宗は恐れ入ったという。秀吉は、大器、天威、所世の人の及ぶべくもないと評され、格の違いを見せ付けた。政宗が首尾よく帰国すると、諸将は虎を放つのは危険と進言したが、歯向かえば誅伐すればよい、と語り、諸将は頓首したという。

小田原城は、上杉謙信や武田信玄も落とせなかった堅城だが、季節的な理由で撤兵する可能性のない包囲軍の前では無力であった。三ヶ月の篭城戦ののちに北条氏政・氏直父子は降伏。氏政・氏照は切腹し、氏直は紀伊の高野山に追放された(小田原征伐)。


[編集] 天下統一
最後の大敵・後北条氏を下し、ついに天下を統一する。秀吉は長きに渡って続いた戦国の世を終わらせたのである。しかし、臣従させた伊達氏のように、軍事的な殲滅の対象とならなかった諸大名が残っていたことにより、諸大名は軍事力を温存することができていた。この有力諸大名の処遇が秀吉の政権の課題となる。

天正19年(1591年)、後継者に指名していた鶴松が病死した。そのため、甥・秀次を養嗣子として関白職を譲り[12]、太閤(前関白の尊称)と呼ばれるようになる[13]。 また、茶人千利休に自害を命じている。利休の弟子の古田織部、細川忠興らの助命嘆願も空しく、利休は切腹して果て、首が一条戻橋で晒された。この事件が起きた理由については諸説がある。

この年、東北の南部氏一族、九戸政実が後継者争いのもつれから反乱を起こす。秀吉は南部信直の救援依頼に対し、豊臣秀次を総大将とした蒲生氏郷・浅野長政・石田三成を主力とする九戸討伐軍を派遣。東北諸大名もこれに加わり、6万の大軍となった。九戸政実・実親兄弟は抗戦するが、多勢に無勢の為やがて降伏。その後九戸氏は豊臣秀次に一族もろとも斬首されて滅亡。乱は終結した。


[編集] 文禄の役
詳細は文禄・慶長の役を参照

文禄元年(1592年)、明の征服と朝鮮の服属を目指して16万の軍勢を朝鮮に出兵した。初期は朝鮮軍を撃破し、漢城、平壌などを占領するなど圧倒したが、各地の義兵の抵抗や明の援軍の到着によって戦況は膠着状態となり、文禄2年(1593年)、明との間に講和交渉が開始された。


[編集] 秀次事件
詳細は豊臣秀次#秀次事件を参照

一方、文禄2年(1593年)に側室の淀殿が秀頼を産むと、秀次との対立が深刻となる。2年後の文禄4年(1595年)、関白・豊臣秀次を「殺生関白」(摂政関白のもじり)と呼ばれたほどの乱行を理由として廃嫡し、高野山へ追放。のちに謀反の容疑で切腹を命じた。秀次の補佐役であった古参の前野長康らも切腹処分となったほか、秀次の妻子などもこの時処刑された。秀次の乱行が実際にあったかには諸説あり、実子が生まれたので秀次が邪魔になったという見方もされている。


[編集] 慶長の役
詳細は文禄・慶長の役#慶長の役を参照

文禄5年(1596年)、文禄2年から続いた明との間に講和交渉が決裂し、慶長2年(1597年)、14万人の軍を朝鮮へ再度出兵する。漆川梁海戦で朝鮮水軍を壊滅させると進撃を開始し、2ヶ月で慶尚道、全羅道、忠清道を席捲、京畿道に進出後、南岸に城塞(倭城)を築いて久留の計が取られることとなる。このうち蔚山城は完成前に明・朝鮮軍の攻撃を受け苦戦したが、援軍を得て大破した(第一次蔚山城の戦い)。同年の貴族の日記に、大阪城にいる秀吉のもとに象が連れて来られたと記録されている。

作業中です。

決裂 講和交渉

— posted by サイト管理者 at 11:45 am  

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